<kumanesir> 自己紹介


☆動詞の項数など、論理的な文法体系になっている「アイヌ語」に興味を持っている。

★1959年、北海道伊達市長和町生まれ。長和(ながわ)は、昔、長流(オサル)と言われていたが、「お猿」と聞こえるのが困るらしく長和と改名された。長流(オサル)が、アイヌ語のo-sar-pet(オ-サ-ペッ)「川尻に・あし原(がある)・川」から来たのを知ったのは、後のことである。

☆アイヌ語には、小学生の時に洞爺湖のそばにある昭和新山の観光みやげ店で「アイヌ語集」という冊子本に出会ったのが初めて。しかし、アイヌ語は、英語のような外国語のように手軽に勉強できないため、数年くらいまでは本格的に勉強をしたことがなかった。

★もともと語学には興味があったが、得意ではない。へたの横好きというところか。民族語に見られる不規則な語形変化を伴う文法に対して、人工語で不規則な語形変化の文法はないという「エスペラント」という言葉には以前から興味はあった。いろんな文学者にとりあげられている理想郷的な言語であるという印象は持っていた。宮沢賢治の「イーハートーボ」というのは、「岩手」という言葉をエスペラントから連想して造語したものだそうである。もっとも、エスペラントには、こういう言葉はないという人もいるが。エスペラントを本格的に学習し始めたのは、苫小牧に転勤した時に、「苫小牧エスペラント会」というのがあり、その会長でエスペラントに堪能な星田淳氏に出会った時からである。その会にはすぐに入会した。現在は、北海道エスペラント連盟のWebページの管理人をしている。1887年にエスペラント(語)を作ったザメンホフの「ホマラニスモ(人類人主義)」、エスペラントの内在思想や最近のエスペランチスト(エスペラント使用者)が1996年の世界大会で発表した「プラハ宣言」の中にある言語の多様性や言語権の考え方に共感している。

☆エスペラントの他の特徴として、エスペラントの学習が容易であるということがあげられる。これに関してはロシアの文豪で思想家のレオ・トルストイが次のような発言をしている。「エスペラントは、じつに学び易い言葉です。二時間足らず勉強したら、書くまでにはいきませんが、自由にエスペラントが読めるようになりました。」ヨーロッパの言葉を集約したものという制約があるが、それを割り引いても、他の言語より学びやすいものと考えられる。また、エスペラントの単語を覚えれば、他のヨーロッパの言語を学ぶときの手助けにもなるとも考えられる。

★英語は好きだが、国際語であるという考え方には疑問を持っている。母語者と非母語者の間に不公正、不平等な関係が生じると考えている。このことは、世界的なレベルで考えると非民主的なことだとも思う。あらゆる民族語は、国際語、世界語になれる資格はないと思っている。このような発言をすると誤解されるかもしれないので弁明すると、エスペラントの団体は、民族語を否定する団体ではない。逆に民族語には敬意を払っている。違う民族語を母語とする者どおしがコミュニケーションをとる時だけ、どの民族の言葉でもない、民族に関しては完全に中立を保持している、この国際共通語エスペラントを使おうということである。ザメンホフ自身も、めいめいがたった一つの外国語(しかもひじょうに容易な)をおぼえればすむ時代が来れば、自分の母国語を徹底的に学ぶことが可能となり、各言語は近隣民族の言語の圧力から解放されて、自己の民族のもつ力のすべてを充分に保存し、やがては力強くりっぱな言語に発展するであろう、と言っている。

☆というわけで、アイヌ語話者は、国による強制や日本人による構造的な差別意識によってアイヌ語を話すことができない状態になり、現在、その子孫が選択の余地がない状況の中で、日本語を母語にさせられたという恥ずべき歴史があるので、アイヌ語の復権という問題に興味を持っている。日本人は、母語を奪われたという歴史がないので、異民族の言語を強制されることによる様々な弊害や差別的状況を経験したことがない。このため、こういう問題に対して、一般的な日本人は鈍感であるとも言える。実際、社会的に著名であった森有礼や志賀直哉などが、日本語を使っている限り日本人は世界の流れに遅れてしまうので、日本語は捨てて、英語やフランス語を日本の国語に採用しては、というような世界の常識とはかけ離れている案が出たほどである。

アイヌ神謡集というものがある。これは、「銀の滴、降る降るまわりに」で始まる有名なアイヌのカムユカ(神謡)を、知里幸惠というアイヌの女性が、アイヌ語原文(ヘボン式ローマ字)と日本語訳文で書いたものを1923年(大正12年)に出版した本である。今も岩波文庫で出ている。

☆エスペラントを勉強している中で、北海道エスペラント連盟で発刊している「Ainaj Jukaroj(アイヌ神謡集をエスペラントで訳した本)」という本に出会った。このエスペラント版には、アイヌ語学者である切替英雄氏によるアイヌ語の簡単な文法の概説と単語集があり、アイヌ語の構造的な文法の部分に興味を持った。言葉を分解して解析できるところがエスペラントに似ている。ヨーロッパの言葉を集約したエスペラントと、起源が不明でアジアの言葉であるアイヌ語との比較なので、本質的なところは違うが。また、アイヌ語の言葉には、心に響いてくるものがある。縄文時代の言葉につながっている言葉であるかもしれない。もっとも、言語学的にそれを実証するのは、かなり困難であるため、日本語とアイヌ語は同じ系統の言語であるとは言えない状況にある。アイヌ語と日本語は、音が非常に似ているため、偶然にことばが一致するという確率が高いせいかもしれない。はっきりしたことは、わからない。

★アイヌ語の本格的な学習は、苫小牧にいた時に、白老のアイヌ語教室から始めた。その時にいただいた白老アイヌ語単語集は、白老教室の講師で単語集の編者である岡田路明氏の承諾を得て、ここに公開している。現在は、札幌の初級アイヌ語教室(沢井アク氏)及び中級アイヌ語教室(奥田統己氏)のもとで学習を続けている。学習の主な内容は、アイヌ語話者の録音テープを聞き取って起こす作業である。その他に文法の解説があったり、アイヌ文化についての説明を受けたり、アイヌ語の作文を行ったりしている。最初に述べたが、私はへたの横好きなので、あまり上達しないが、シンプルで深遠なアイヌ語の魅力にとりつかれている。


◆ハンドルネールの「クマネシ(kumanesir)」は、正確なアイヌ語のカナ表記で書くと「クマネシ」となる。「クマ」はアイヌ語で「肉をかけて乾かすための横に差し渡すたな」、「ネ」は「〜のような」、「シ」は「山」という意味である。石狩の当別川上流にある「隈根尻」、十勝の美里別川源流にある「クマネシリ」など、北海道には同名の山がいくつかある。どれも頂上が平らに横に伸びている山である。


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